モーガンの公準的な発想の重要性
僕が今日も練習参加した高飛び込みのクラブにガビさんというベテラン女性選手がいる。多分年齢は70歳ぐらいだろうから、ホントにベテランだと思います。このガビさん、教え魔です。きっと良かれと思ってやってくれてるんだろうけど、毎回僕に付きっ切りで細かいアドバイスを引っ切り無しに与えてきて僕を混乱させます。ガビさんはいつも午後7時頃にやって来る。僕の稽古開始は午後6時からだから、彼女の存在によって、僕が練習に集中出来る時間は実質1時間しかありません。
そうやって久々に自分が誰かに何かを教わる立場になってみると、その経験はサッカーコーチの仕事をやる上でも役立つなと最近感じるようになってます。先程のガビさんの話を例にすると、欠点を指摘すること自体は間違いじゃない。適切な仕事だと思う。彼女の指導方法で問題なのは、選手に時間を与えていないということです。1回何かについてアドバイスして僕にやらせてみて、それが終わると直ぐに別のことについてのアドバイスを始める。これだと、聞いてる側からすれば何を意識したらいいのかが全く分からなくなって、良かれと思ってやってることが単に相手を混乱させてるだけということになる。実際、ガビさんに話し掛けられ始めると僕のパフォーマンスは極度に悪くなるんです。毎回そういうパターンだね・・・。
高飛び込みにしろサッカーにしろ、結果に対して原因が一つということは有り得ないんです。例えばサッカーでボールポゼッションの練習をやってたとします。思うようにパスが繋がりません。でも「パスが繋がらない」という現象を起こしてる要因は一つじゃないです。ボール保持者のボールコントロールの精度が悪い、ボールを持ってない選手の状況判断が遅い、選手の人数に対してピッチの広さが不十分・・・。理由を考え出したら他にも色々と出てくるはずです。でもそれを一つずつ全部口に出して説明するのはコーチにとっても聞いてる選手にとっても非常に疲れる作業です。しかも疲労の度合いと実際の効果が比例しないんだから尚更厄介だよね・・・。だから指導者は、現在進行形で起きてる現象の原因の中からどれか1つ、多くても2つを選び出して選手に伝えなきゃダメで、その1つ2つの選び方というのも、コーチの腕前を評価する上でのポイントの一つだと僕は思ってます。
選び方は人それぞれだと思いますが、僕が日本でサッカーコーチをしている時にそういう場面に出くわした時は、まず自分が言いたいことを頭の中で反芻(はんすう)してました。そしてその内容が少し難しいことを表現しようとしてると感じたら、よりシンプルなことに原因を求める作業を行うようにしてました。
ここで少し話は逸れますが、モーガンの公準というのをご存知でしょうか?心理学を専攻してる学生だったら聞いたことのある言葉かもしれません。ちなみに僕も大学時代の専攻は心理学でした。モーガンの公準についてウィキペディアの言葉を借りれば、「低次の心的な能力によって説明可能なことは、高次の心的な能力によって解釈してはならない」ということ。つまり、「シンプルな言葉で表現出来ることを難しい言葉で説明しようとするのはダメですよ」ってことです。
5年間サッカーコーチの仕事をやってきた経験から言って、自分が選手達に少々難しい説明をしなければならない時は、往々にしてシンプルで基本的な部分に問題が発生している場合が多いんです。「声を出す」とか「周りを見る」とかっていう基本的な部分が出来ていないんだけど、そういうシンプルで基本的なことよりも技術的なことや戦術的なことに目を向けてしまうから、選手に対する説明も自然と難しくて複雑な内容になってしまう。だから選手に対して何かを言おうと思ったら、まずは一旦頭の中で発言の内容をチェックして、「もっと簡単に言えるかどうか」ってのを考えてから発言するようにしてました。折角話しても、その内容が上手く伝わらなかったら全然意味ないからね・・・。
そうやって数ある課題の中から1つ2つを抽出して、シンプルな言葉で選手に伝える。そのアドバイスに効果があったなと感じたら、タイミングを見計らってワンランク上の要求をして行く。そういう作業の連続だと思うし、むしろそれを連続して行うことが出来ていれば選手個人やチームは自然とレベルアップして行くはず。
最後に本音を言うと、今回はガビさんのことについてサラッと触れる程度で終わろうと思ってました。でも気がついたら相当長くて真面目な文章になってましたね・・・。まあ、たまにはこういう日記があってもいいと思う。いつも神奈月や野見さんの話をしてると「土佐コーチは何コーチなんですか?」っていうコメントが投稿されてくる可能性もあるので。








